【現地本部長日記】「岩手県・宮城県の視察」
掲載日:2011.08.22
ここ2ヶ月余り、福島のことをとにかく最優先に任務に当たってきましたが、他の被災地は今どんなだろう、という思いから、週末を利用して岩手県・宮城県の沿岸部を視察しました。ゴールデンウィーク以来です。
盛岡から東に車で移動し、陸中海岸の宮古市田老地区からスタートして南下を続け、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、石巻市(石巻市街他、雄勝町、大川小学校など)と順に視察し、仙台に戻りました。規模の大小はあるものの、どこでも既にガレキの仕分け・集積は大方済んでおりましたが、同時に、まだまだおびただしい数の家々が当時のまま放置され、人影はどこも疎らでした。一見、海岸も見えない内陸部と思しき地区でも、二階の窓が無くなっている住宅が多数残り、津波はここまで来たのか、と愕然とします。堤防や道路など破壊されたインフラや、陸に乗り上げたタンカー・漁船もそのまま。しかし、その一方で、道路の測量や工事をされている方々、仮設住宅では夏のイベントに盛り上がる被災者の方々、ようやく真新しい仮設住宅に入れて笑顔を見せる若いご夫婦、そして最近漁を再開させることができて活気が少しだけ戻ってきた気仙沼漁港の漁師や漁港関係者の方々などにお会いし、安心と希望も感じました。
地域の方々と話してみると、押しなべて放射能のことは余り話題にならない印象で、その点は少し安心をしたのですが、さりとてあのガレキの量と壊滅した地域の広さを目の当たりにすると、福島県に勝るとも劣らず復興は容易ではないという印象です。私の調べた範囲では、地震・津波による人的・物的被害は宮城県が福島県の約6倍、岩手県が約2倍でした。
言うまでもないことですが、津波は海岸部を襲うわけですから、東北の海岸部で最も大きな産業、すなわち水産業が最も大きな打撃を被りました。しかし、気仙沼の漁協の方のお話では、漁に出る船はある、ということなのです。つまり津波の被害は、陸上の漁港の冷凍や加工の設備なのです。ナマものを相手にする水産業はここが復旧しなければ雇用を回復できません。水産庁も頑張って補助金を付けているのですが、今は平時ではなく非常時です。補助率三分の二、といった平時からすれば例外的に大きな割合での補助を行っても、被災した団体(皆、被災による特別損失も抱えている)では残りの資金を自分たちで手当てするのは困難であることに変わりは無いのです。今一度、非常時には非常時にふさわしい、実質的な救済となり得る手段で被災地産業を応援する、この考え方で支援強化に取り組みます。
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